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2005年3月 9日 (水)

竹島・補遺

過去の歴史に過度に縛られて現実を直視する勇気もない政府要人・官僚は、日本の将来にとってまったく必要ありません。

日本を代表する左派メディアである東京新聞の竹島についての認識を以下に掲載しておきます。

東京新聞 / 『竹島の日』島根県の事情 より

 竹島は島根県隠岐島の北西百六十キロに位置し、二つの小島とそれを取り囲む数十の岩礁からなる。総面積は〇・二三平方キロで東京・日比谷公園とほぼ同じだ。一本の立ち木もない不毛の地だが、周辺の海域は南からの暖流と北からの寒流の合流点で、魚介類に恵まれている。

 竹島と日本、とりわけ島根県との関係は江戸時代初期にさかのぼる。一六一八年、伯耆(ほうき)藩(現鳥取県)の商人二人が幕府から渡海免許を受け、朝鮮半島から百十キロの海上にある鬱陵(うつりょう)島でアワビ、アシカなどの漁猟、木材の伐採にかかわっていた。竹島はその中継地として利用されていた。一六九六年には幕府は朝鮮との争いを避けるため鬱陵島への渡航を禁じたが、竹島へは禁じなかった。

 明治時代には、再び日本人が鬱陵島に渡航し、竹島でも十九世紀末からは隠岐の島民たちが漁猟を行っていた。一九〇四年、隠岐島の住民が竹島で漁を行うため政府に領土編入と貸与を願い出た。政府は〇五年、日本領土とすることを閣議決定し、島根県が県土への編入を二月二十二日に告示した。ちょうど百年前のことだ。「竹島の日」はこの日を記念したもの。

 竹島の運命を変えたのは日本の敗戦だった。五二年、韓国の李承晩(イスンマン)大統領が海洋主権を宣言、いわゆる「李承晩ライン」を引き、竹島を韓国領に組み込んだ。五四年からは警備隊員を常駐させ、実効支配を年々強めている。(※blog管理者注:この国際法上まったく根拠のない李承晩ラインが解消されるまでの間に日本人抑留者数が3929人、死傷者が44人発生した事実をあえて指摘しておきます。)同年に日本は国際司法裁判所にこの問題を提訴することを提案したが、韓国側が拒否し実現していない。

 六五年に日韓基本条約が結ばれたが、竹島問題は未解決のまま残された。それがなぜ今「竹島の日」なのか。超党派の島根県議でつくる竹島領土権確立議員連盟事務局長の上代義郎県議は「竹島の県土編入百年、日韓条約四十年という節目の年だからこそ制定する意味がある」と強調する。

 県は毎年、国への重点要望のトップに竹島領有権問題の解決を掲げてきた。「なのに国はこれまで冷淡な態度に終始してきた。北方領土問題については内閣府に北方対策本部があり、国が定めた『北方領土の日』もあるのに、竹島問題では国に窓口すらない」(同県議)と不満もくすぶる。

 元内閣府副大臣で帝京平成大学の米田建三教授は「副大臣在任当時、県の陳情を受けて内閣府に担当部署が設置できないか働きかけたが、政府内には韓国を刺激しないという伝統があり、のれんに腕押しという感じだった」と振り返る。県独自の竹島の日制定は「国が何もしないのなら、県議会としてできることをするしかない」(同県議)という焦りもあるようだ。

【参考】当blog内関連エントリー(我ながら粘着してまんなあ)
尖閣諸島、竹島・・・
竹島奪還決議
百家争鳴
白黒つけましょうよ
日韓基本条約一方的破棄?
日韓友情年2005
外交断絶宣言

投稿者 青柳 洸 at 午後 10時33分 政治・行政 |

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