調査捕鯨
いまだに欧米は「クジラさんを食べるなんてかわいそう」って叫んでるんですね。フン、おめでたい奴らだ。
秋田魁新報社 / 調査捕鯨は不要と批判/「非科学的」とWWF より
【ジュネーブ13日共同】世界自然保護基金(WWF、本部スイス)は13日、日本の調査捕鯨が「非科学的」で、科学調査に名を借りて商業捕鯨を継続しているにすぎないと批判、直ちに調査捕鯨を中止すべきだと訴える報告書を発表した。今月20日から韓国南東部の蔚山で国際捕鯨委員会(IWC)総会が開かれるのを前に、日本が調査捕鯨の拡大を計画していることを念頭に置いた報告書。
WWFは、クジラの食性や生殖活動など、日本がクジラを殺さなければ解明できないとしている生態は、皮膚のサンプル採取などで可能になっていると主張。「科学技術先進国の日本が、21世紀になっても1940年代の科学を用い、研究目的で年間推計650頭のクジラを捕獲しているのは驚くべきことだ」と述べた。
調査捕鯨についてはコチラのサイトの解説をご参照ください。
あと資料はやや古いですがWWFジャパンと新潟大学人文学部教授の三浦淳(あつし)氏との往復書簡が大変熱いです。こちらのやりとりは大変長くかつ専門的な部分もありますがWWFの欺瞞性を余すところなく引き出しており読み応えがあります。
欧米人は家畜の肉はなんの罪悪感もなく大量に貪り食らうくせに、「クジラは野生動物だから」とか「賢いから」とか「家畜は神が用意してくださった食べ物だから」とかいう非論理的理由で捕鯨を槍玉に挙げますが、どうしてそんなにバカなんでしょうか。
捕鯨批判は動物愛護でもなんでもなく実は単なる文化差別・民族差別であるというリンク先の主張は大変頷けるものです。
差別主義は昨今の日本でもまたぞろ首をもたげてきていますが(オマエだって立派な東アジア三国差別主義者だろうという大変的確な指摘は置いておいて)、全世界的にもなかなか根絶しないとっても甘美な思想なんですね。
投稿者 青柳 洸 at 午後 03時58分 国際 | Permalink
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[国際][憂国][飲食] 函館「くじらバーガー」を非難・英国の動物保護団体が声明【ロンドン24日共同】ロンドンに本拠を置く動物保護団体WSPAは24日、北海道函館市のファストフードチェーン「ラッキーピエロ」がミンククジラ肉で作った「くじらバーガー」を発売したことに対し「腹立たしい悪趣味な宣伝行為にすぎない」と強く非難する声明を出した。
声明は、国際捕鯨委員会(IWC)総会で日本の調査捕鯨拡大計画への反対決議が可決されたのと同じ週にこの�... 続きを読む
受信: 2005/06/25 13:59:32






コメント
鯨など食べたこともないし、特別食べたいとも思わないので、反捕鯨の国際世論と日本の対立に関心をはらってこきませんでした。6月22日付けの仏『リベラシオン』紙に「日本が調査捕鯨を倍増を計画」とスキャンダラスに書いてあったのがきっかけで、なぜそこまでして捕鯨にこだわるか知りたくなり、Googleで「調査捕鯨」のキーワードで検索したところこのブログに行き着きました。
三浦淳氏とWWF Japanの往復書簡も読みましたが、どちらかといってWWF側の主張の方がうなづける気がします。絶滅の可能性がある以上、捕獲を禁止ないし制限して変化を見守る。「なぜ鯨だけ?」という点は、「絶滅の可能性のあるにも関わらず何の対策もとられず放置されている種がある」ことは捕鯨継続の理由にはなりません。
確かに「普遍」、「人類」の名の騙る西欧のイデオロギーが、その価値観にそぐわない他文化を「野蛮」として見る部分は否定できないと思いますが、文化的相対主義だけを掲げてみても議論は平行線をたどるだけだと思います。『リベラシオン』の記事も日本の強引さに怒りをあらわにするオセアニアを強調するばかりで、日本のこだわりについては何の言及もありません。
捕鯨そのものよりも、文化の相対性と人類的なコンセンサスのアンチノミーをどう調整するかが問題だと思います。「自由」、「平等」はおろか「命の重さ」に至るまで各文化によって捕らえ方は大きく異なると思いますが、「固有の文化」をふりかざして、これら近代社会の基本的な価値観を蔑ろにすることはできないと思います。たとえば一夫多妻制を許している一部のイスラム国家に対しては、イスラム文化を否定すると言われかねませんが、長期的には男女平等を実現させるよう働きかけるべきではないでしょうか。アラブの一夫多妻制にしてもそうですが、昔からある伝統のように見えて、実際、歴史的な状況の変化にも関わらず、伝統に悪乗りしているケースのほうが多いように思えます(靖国神社もこの類だと考えています)。
なぜイヌイットの捕鯨は許されて、日本などの先進国の捕鯨は許されないのかと問題は、この観点から、答えるのが非常に難しい問題と言えるでしょう。鯨がいなくなってしまえば、彼らの捕鯨文化はおろか、生活基盤が失われるわけですから、代替手段を提案しながら捕鯨中断を求めるのは当然でしょう。
消え去ろうとしている少数民族と、日本という近代国家では、議論の次元が異なりますが、他文化と「共存」してしまえば、個々の文化的な特異性は崩壊の危機に直面せざるをえません。
では「西欧」が一人勝ちしたのでしょうか?勝ち負けという言葉を使わなければ、人類的普遍性と西欧の価値観はイコールで結ばれるのでしょうか?政治・経済・倫理面でのリベラリズムを西欧と呼ぶのならその通りでしょう。しかしそれが一地域の歴史が結果としてもたらした価値観であるにしても、そこに一枚岩の文化を考えるのは間違っているでしょう。いわば西欧自身が自分の発明した装置に当惑していると言えばいいのか。疎外は非ヨーロッパ諸国のみが持つ感情ではないと思います。
投稿: isocrate | 2005/06/23 19:13:34
>絶滅の可能性がある以上、捕獲を禁止ないし制限して変化を見守る。
日本は絶滅の可能性のある種の捕獲量を倍増させると主張しているとは思わないのですが。
絶滅危惧種もそうでない種も一緒くたの議論はあまり科学的ではないと思うのですが。
あと是非一度太地町に行かれる事をお勧めします。
投稿: HIKARU | 2005/06/23 20:44:00